Podcastの『小島慶子のキラキラ』でこんな事を言っていた。(だいたいこんな感じの内容だと思う)
『徒競走で4位でも、万年4位でも、ちょっとこいつ足が遅いと言われても、それでも良いのよ。それは徒競走の中の自分が4位であって、丸のまんまの自分が否定されたわけではない。それが分かるようにと大人が用意した場なんです。』
全くを以て同感。運動会で1位になる人もいれば、裏方で準備をテキパキ行える人もいる。いろいろな人がいて、運動会が成り立っているわけで、1位になれなかったからどうにかなるわけでもない。人間皆同じじゃなくてもいいんです。
でも、向き不向きが出てくるわけで。人は、気づかない事には気づかないから、他人(比較対象)がいないと、自分がいったいどうなのかは分からないはず。なので、日頃から競争して自分の特性を分かっていないと、向き不向きが分からないはずなんですね。
前提としては、競争をしてもその勝ち負けには必要以上にこだわらず、人の多様性を認められる事だと思うんですけどね。こだわり方は、子供の特性は良く変わるというか、すぐには分からないので、1度や2度の勝負では特性が分からないので、難しいんですけどね。
結局のところ、子供に任せるっていうのが一番かも。と思ってみました。
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